今から約30年前、私が中学2年生の夏休みのある朝、父が突然「健一、今日の夕方からアルバイト
をして欲しいんだが何か予定はあるのか」と不躾に質問され、私は「何も予定はないからアルバイト
してもいい」と返答した。この会話が私が調査業界に入ったきっかけであるといっても過言ではない。
当時、丸刈りの中学2年生が父親の経営する興信所の調査員3人と共に神戸家庭裁判所からある
中年男性を尾行し、その男性の潜伏先を確認するいった単純な行動調査の補助要員として駆り出さ
れた。
「相手は恐らく東京方面に潜伏しているから何も考えず相手の後を尾行して何処に住んでいるか
だけ確認すればよい。相手は坊主頭の中学生が探偵だとは絶対に思わないから大丈夫だ。
唯、東京は神戸と違って人が多く混雑しているからピッタリとマークして絶対に離れるな」という指示と当時においては大金である交通費を渡されて行動調査を行った。
案の定、相手は新神戸駅から新幹線に乗車して一路東京へと向かった。 生まれて初めての東京であり大都会の中に当惑されながら父親の指示の如くピッタリとマークして、相手を追跡していた。
写真撮影等はベテラン調査員が死角を考えながら行っていた為私はただ後をつけるだけで良かったのである。
ところが相手がバスターミナル手前で走り出しドアが閉まる寸前に乗車し幸い私だけがそのバスに乗車することができ他の調査員は失尾してしまったのである。
現代と違い携帯電話もなく連絡もとれず、いよいよ素人中学生探偵と中年男性との一対一の単独尾行が始まった。
ここまで来れば開き直りの心境で「絶対に最後まで突き止めてやる」ということしか頭に無く郊外のバス停から暗い夜道を延々と尾行し薄汚いアパートの2階の部屋に入ったのを確認したのであった。
調査は成功したがそれからが大変で右も左も何も解らない中学生が事務所に連絡した後、調査員と合流するのに生まれて初めてタクシーに乗車し調査員と合流したとき涙が出そうであったのを今でも鮮明に記憶している。 成果を挙げたことで周囲から誉められアルバイト料も予定の金額の倍程もらって有頂天になり探偵の仕事は面白いという印象だけが残り、大学を卒業するまでは時々尾行調査のアルバイトをしてそれなりの成果を挙げてきた。
しかし、私は何の迷いもなくこの調査業の世界に入ったのではない。学生時代に調査業界の地位の低さや質の低さを散々味わい自分の一生を貫く仕事として選択していいのかどうかと迷った時期が
あった。
それらを吹っ切れたのは、欧米の調査業界の地位の高さと父親が商売よりも協会の仕事を優先してまでも業法の獲得等を目指し後世のために業界の地位向上に紛争していたことであった。
「きっと調査業界も欧米並みに地位が社会の中で立派に確立される時期が日本においても必ず
やってくる」と確信した。
しかし、20数年経った現在において若干ではあるが向上は見られたものの悪徳業者が跡を絶たず社会的な信用度の確立にはまだまだ努力を要する昨今である。
私は平成7年1月、阪神大震災によって自宅が倒壊し交通機関も全て麻痺した状態で身を持って経験した大きな収穫があった。それは、人間社会にとって衣食住の関連の次には調査が4番目に必要であるということである。
被災者や家族が親族や知人の安否と居場所の確認に必死になっており、行方不明の人々の捜索依頼が相次いだのである。地震の後、皆が大変な状態に追いこまれていた中で私共に出来る事といえば、行方不明の方々を
出来るだけ早く見つけ出し、家族や知人の方々に安心してもらう事でした。
事務所も万全でなく、各地からボランティアが集まり、その様な状況下で正式な調査も出来なかった事もあり、約半年間、実費だけで調査を行い大勢の方々から感謝されました。
この地で長く活躍し、沢山の人々のお世話になってきたのに、どんなに無理な状況でも放り出せませんでした。
また、そんな時だったからこそ心底困っていた人々に対して仕事の域を越えたお手伝いができ本当に
良かったと思います。
この時、初めて調査業もまんざら捨てた物ではなくこれだけ多くの人達に感謝される仕事に従事して
いる自分自身は幸せではないかと言うことと人間社会において調査の重要性を実感したのであります。 |